NEWSヴィアティン・マニア
強化部長・アカデミーダイレクター:樋口士郎インタビュー
2019シーズンから新体制になって新たなスタートを切ったヴィアティン三重。その新体制を語る上では欠かせない人物がいる。樋口士郎氏、ご存知の通り三重県高校サッカーの名門「四日市中央工業高校(以下:四中工)」を長年に渡って率いた高校サッカー界の名将である。その樋口士郎氏が強化部長・兼アカデミーダイレクターとしてヴィアティン三重にジョインすることとなり、加入に至った経緯や考えを聞く事ができた。(このインタビューは2019年5月初旬に行いました)
①「三重県サッカーに貢献したい」加入を決断した理由
実は3〜4年ほど前から四中工の監督を退任しようと思っていて、城先生にも伊室コーチ(現監督)にもその考えを伝えていました。しかし、人工芝の専用グラウンドが完成したり、三重開催のインターハイがあったりするなかで、退任するタイミングとしてはふさわしくなかったんですね。それもあって定年退職の1年前ではありましたが、2018年・三重開催のインターハイを最後の年にしようと決めていました。
退任する時期は決めていましたが、次どうするかは全く決めていませんでした。県外の私学に行って新たなチャレンジをしてみたいという気持ちも少しあったのですが、これまで転勤もなく28年間ずっと四中工でやらせてもらえたことなども踏まえて、県外に出てしまうのではなくやはり三重県サッカーのためにこれまでの経験や自分の存在を役立てることはできないだろうか、と考えていました。
そんな時にタイミング良く、城先生を通じて後藤社長からヴィアティン三重加入のお話をいただきました。私としては「三重県サッカーのために」と強く感じていたので、私にとっては渡りに船と言いますか、とてもありがたいお話でした。
というのも、三重県のチームで最もJリーグに近いのはヴィアティン三重だとかねてから感じていました。ホームタウン活動や選手のこと、スポンサー企業のことなど、さまざまな状況を第三者的な目で見て、絶対にJリーグクラブになるべきチームだと思っていましたので、自分が三重県に残って、Jリーグ昇格にチャレンジし、三重県のために力を尽くすという想いも果たせる、という素晴らしいオファーをいただきましたので、即答でお受けさせていただきました。
VTM)確かに高校の指導者ではなく、三重県サッカーに貢献するためのポストというのは、今のところ県内では他にない状況ですよね。
そうなんです。例えば他の高校に転勤して、選手を集めたりすると、四中工の監督を引き継いだ伊室と競合してしまう状況になります。思い入れのある四中工の事を考えてもそれは望む事ではありませんし、年代が競合しないカテゴリーに関わるのであれば四中工に迷惑をかけることもありませんので、私にとっては本当にありがたいお話でした。
また、三重県サッカー協会の競技力向上対策本部の委員もさせてもらっていまして、国体成年男子はヴィアティン三重の選手が中心にもなっていますので、三重国体が近い中で国体チーム強化にも直接関わることができますし、Jリーグを目指してというところにも関わることができる。その二つは大きなやりがいに感じています。三重県サッカー協会の関係者からも四中工を離れてからも引き続き国体強化に関われるということで「国体よろしく頼みます!」と言ってもらっています。
VTM)四中工退任後に例えばJFLやJ3など、社会人カテゴリーの指導者をするような願望・イメージはなかったのでしょうか?
私の選手経験としては、四中工卒業後に本田技研に入り、そのあとPJMフューチャーズ(現サガン鳥栖)でコーチ兼選手で4年間やらせてもらいました。その時に社会人カテゴリーの指導者をやらせてもらっていた経験もありましたし、弟(J3・FC琉球:樋口靖洋監督)がJリーグクラブの監督をずっとやっていますので興味はありました。もしそういった環境やチャンスがあればチャレンジしてみたいなという気持ちはありましたけどね。でも私の適正はやはり育成年代だと自分自身では感じています。
VTM)いま弟さんである樋口靖洋監督の話が出ましたが、今回ヴィアティンに加入することについてはお話されましたか?
しましたよ(笑)こんなチャンスをもらったのでチャレンジしてみる、という話をしました。弟にはいい選手がいたら教えてくれ!レンタルで貸してくれ!といった話もしましたね(笑)
②強化部長としての仕事と役割
加入してから1ヶ月の間に強化部長としての自分の役割について試行錯誤しながら準備をしています。「強化部長職」としての具体的な動きはJリーグ関係者や強化担当としての経験を持つ知人に教えてもらったりしながら、着々と準備を進めているところです。私も一緒に動くことがあると思います。
シーズン終了までにはスカウティング活動をして行きます。次の世代でヴィアティンを背負ってくれるような有望な選手を獲りたいと考えています。
ですので、いまの現実的には「強化部長」としての名刺配りがメインの仕事ですね。いろんなところに行ってヴィアティン三重の強化担当としてのパイプ作りをしています。なにかあれば「士郎、うちの選手を頼む!」と大学の監督らに声をかけてもらえるような関係づくりをしているところです。
例えば新卒選手獲得の場合、Jリーグ関係者や弟に聞いてみると、監督も選手も含めてJ1・J2が決まってからJ3・JFLという順に決まっていくので、良い選手を獲得するという部分ではJFLは最後になります。なかなか厳しい状況にあります。
ただ、大学生の中には埋もれた素材というのがいます。ある意味そういう選手を発掘していかないと我々は生き残って行けないとも感じています。実際にそういう選手がいて、例えば阪南大学のBチームにいた選手がJリーガーになっていたり、ポテンシャルは持っていたけど学生時代はメンタル的に難しかったのが、その後に意識が変わって成長したなど、どこで伸びるキッカケがあるのかはわからないものです。そういった選手をいかにして見つけてくるか?というのが今後、重要になってくると思っています。
VTM)ということは大学リーグなどの試合に足を運ばれているんですね。
はい、しっかりとアンテナを張って、いろんな監督やコーチとコミュニケーションをとる必要がありますので。
VTM)そこでまた四中工時代の28年間で築いた関係やが生きてくるわけですね、送り出した卒業生もたくさんいますし。
そうなんです。これまでは大学に受け入れをお願いする側だったのですが、今度は受け入れる側になりますね。
VTM)もう大学の試合は何度か観に行かれたのでしょうか?
はい、大学生の試合へ何試合か行きました。トップチームがアウェー戦に行っている週末に何試合か視察に行きました。
VTM)ちなみに、これまでに育ててきた選手とは卒業後にコミュニケーションをとる機会はありますか?
ありますね。シーズン終わりやケガした時、移籍のタイミングなど、節目節目で連絡をとります。例えば浅野拓磨だと代表に選ばれた時にLINEを入れたり、ケガした時にがんばれよ!と連絡したり、ベルマーレの坂や鳥栖の福田、広島の森島司など、タイミングがあればちょくちょく連絡は取っています。それに、四中工にけっこう顔を出してくれますので嬉しいですね。
③アカデミーのコンセプト・方針
VTM)強化担当としての仕事はまだこれからということで、今はアカデミーダイレクターの仕事に注力されているわけですね。
はい、まずは1ヶ月かけて全てのスクール会場を回って状況を見ていますし、巡回指導にも行っています。午前中は可能な限りトップチームの練習を見て、そのあと事務所に戻り、午後からスクール、巡回指導、ジュニアユースを見て今に至るといったところです。
VTM)樋口士郎アカデミーダイレクターが考えるアカデミーのコンセプト・方針を教えて下さい。
これはホームページに載っている内容、その通りなんです。先日、川北コーチに頼まれて保護者向けに話をさせて頂く機会がありました。また、雨の練習日にジュニアユースの子どもたち全員に話をする機会がありました。その準備をしているときに基本理念やコンセプトを整理したのですが、ヴィアティン三重の掲げるコンセプトや考え方が四中工でずっとやってきたことと全く同じだったんです。
ヴィアティン三重のアカデミーから良い選手を輩出する、その良い選手になるためにはまず良い人間でなくてはならない。要するにオンザピッチとオフザピッチの部分を要求していく。トップの選手を目指していく、そのためには誰からも応援される選手でありたい。
四中工で私が作った基本理念と、言葉は多少違いますが本質が全く同じなんです。
ヴィアティン三重アカデミー:基本理念
サッカーの本質を伝え、心身ともに充実した
地域社会に貢献出来るプロサッカー選手を育成する。
☆ヴィアティン三重アカデミーの詳細は「アカデミー概要」のページをご覧ください。
従って、資料を作った時も四中工の基本理念、ヴィアティンの基本理念を並べて示し「目指すものは実は同じなんだよ」と伝えました。四中工でもこう考えてやってきたし、ここヴィアティンでも同じ考えでやっていこうと思っていると言いました。
VTM)そこが同じというのはとてもやりやすいですね。
非常にやりやすいです。そして選手の自発性や自立を求めて浅野・川北コーチはやっています。なかにはサッカーさえ上手ければ他はなんでもいいというクラブや、スパルタ式で選手の自発性を奪ってやっているクラブもありますので、ヴィアティンが本当の意味でトッププロを育てていこうとするのであれば、この基本理念・コンセプトを大切にしてやっていくべきだと感じますし、ベクトルは合っていると確認できました。
VTM)クラブチームと学校部活の違いはありますか?
基本的なところは同じだと思います。ただ、Jクラブの組織の問題点として指導者が頻繁に代わるという点があげられます。1〜2年で指導者が代えられてしまうことが多いです。指導者も選手と真剣に向き合って勝負しなくてはならない時があるわけです。良い選手ほどクセがあって指導者を観察しますので、そういう時に去年までユースの監督をやっていたが、次の年はスカウトになった、さらに翌年には違うクラブに移ったというようでは選手とじっくり時間をかけて向き合うことができません。そういった組織上の問題があると思います。
例えば学校は私学であれば転勤もありませんし、私のように28年同じ高校に居させてもらったら時間をかけて向き合うことができます。従いましてJクラブだから、高校だからという事はあまり関係なくて「時間をかけて向き合える環境・組織か?」というところが重要だと思います。
南米やヨーロッパのクラブだと、スクールマスターという校長先生のような存在の人がずっといます。そういう人が柱になっているのでコンセプトがブレないんです。日本で言えばガンバ大阪や横浜マリノス、サンフレッチェ広島は指導者があまり代わらない、だから選手が育つ環境が作れているんですね。
VTM)それだからこそアカデミーからトップチームに上がって来るような仕組みが作れる、それは理想ですね。
そうなんです。今その目標設定を作っているところなんですが、例えば5年後に「ヴィアティンのアカデミー出身選手がトップチームに3人以上登録される」といったような具体的な数字で目標を掲げたいと考えています。
いま、ヴィアティンにはユースチーム(16歳〜18歳の高校生年代)はないので、ヴィアティンのジュニアユース(15歳以下)出身選手が高校で四中工に進み、またヴィアティンに戻ってきてJリーガーになった。という流れでジュニアユースで育った選手が戻ってきてJリーガーになるといった環境を作りたいと思います。
VTM)ユースチームは難しい部分があるのでしょうか?
クラブチームでやろうという選手が少なくなってきているようですね。関東でもJクラブのジュニアユースを辞めて高校に進学するという選手が多いようです。「選手権に出たい」という理由や、高校のチームでやる方が卒業後に複数のクラブからオファーがかかる可能性があるからという理由です。ひとつのクラブのジュニアユースからユースに進んでトップを目指すと、そのクラブしか選択肢がなくなりますから。
また、プレミアリーグでやっている青森山田や市立船橋、流経大付属ぐらいのレベルになってくると、Jクラブのユースと環境はそれほど変わらないですからね。それであれば将来の選択肢が多い高体連の方が、また注目度の高い選手権で活躍する方が将来性があると考える選手が増えてきています。結局、日本代表も高体連出身者の方が多いですしね。そうやって数字の部分や将来性などもありますし、さっき言った指導者と組織の部分が大切になってくるのだと思います。
VTM)なるほど、そういった部分もヴィアティンのアカデミーにとっては課題であり目標になってくるわけですね。
そうですね。そしてこの1ヶ月、ヴィアティンの現状を見させてもらって「普及と育成強化」の整理が少し必要だと感じました。例えば、スクールでは小6のすごく上手な子と小1の初心者の子が一緒にトレーニングをしている状況があります。スキルや経験にあったトレーニング環境をもう少し整えた方が、それぞれの成長につながると思います。
やはり「Jリーグを目指すアカデミー」としてはその部分をはっきりさせて、アカデミーが弱くてもダメですし、いい選手が集まってくるという環境を作る必要があります。また、底辺の拡大・ホームタウンでの普及という活動も大切です。どちらもやるべき課題です。
従いましてもう一度、スクールとしてボールと戯れたり、とにかくサッカーを好きになってもらう「普及」と上手くなる、上を目指す「育成強化」の整理が必要です。その点について先日クラブの会議でも話をしました。コーチの配置やグランドの整備をしながらよりよいアカデミーにして行きたいと考えています。
④これからのヴィアティンが目指すもの。樋口部長のこれからの生き様。
先日行われた三重ダービー(JFL第8節・三重県選手権決勝)、これがものすごく良い事だなと感じましたね。これまで三重県内の試合で1,000人〜2,000人以上入るサッカーの試合は三重県高校選手権の決勝(毎年3,000人集客)ぐらいなんですよね。やっぱり三重ダービーというものがJリーグへの機運を盛り上げる要因になると強く感じました。
高校生の試合観戦とはまた違って、子どもたちから年配の方まで、ユニフォームレプリカを着ているといったような楽しみ方をされて多くの人が集まる。Jリーグになったら、例えばカズが来たり、浦和レッズが、レッズサポーターが三重県にやってきたり、そんな試合が三重県のどこかで毎週行われると思うと本当に面白い、素晴らしい環境になりますね。
この前のダービーのワクワク感というのがそれを感じさせるものでしたし、この雰囲気を三重県内に拡げていきたい、そこにヴィアティンというチームが居たいと思いました。そしてあの光景にサッカーの可能性を強く感じましたね。
私が現役の頃、Jリーグができる前の日本サッカーリーグの本田技研にいたのですが、ヤマハとの対戦がありました。その時の対戦は「天竜川ダービー」と言われていて、浜松のホンダと磐田のヤマハとの試合に互いの従業員が駆けつけて、1万人もの観客が集まるような試合でした。それぞれのホームでやるのではなく、第三地域の静岡市でやるのですが、そこに両チームの応援バスが何十台も連なって押し寄せるんです。その試合に負けたら次の日は会社に行けないぐらいのプレッシャーがありましたね。
かつての闘いは企業色が強かったのでダービーと言っても企業と企業の看板を背負った闘いでした。企業としても直接のライバル関係にあったので、ある意味シビアな闘いなんですが(笑)あの空気感がやはりすごかった。当時は企業を背負っていましたが今は地域の想いを背負って闘う。当時もこの1試合はただの1試合ではないという意味を感じながらやっていましたし、古くはサッカーで争いが起こると言われることがあったり、政治や文化、宗教を巻き込んだ闘いがヨーロッパにあったように、また今ではバルサ vs レアルのように、サッカー以外の要素もすべて背負った闘いがある。そこに通じるような試合を三重県でやれたというのが「三重県にJリーグを」という目標への可能性を強く感じさせるものになりました。また、その闘いに勝てたというのが素晴らしかったです。
VTM)樋口士郎さん個人としての目標、サッカー人としての生き様など、これからのイメージはありますか?
今年で60歳ですが、少なくともあと10年はこういう勝負の世界でやり続けたいですね。悠々自適な生活ではなく、こういった環境に居させてもらえるのであればどんどんチャレンジしていきます。役割として現場なのか、また他の仕事なのかは別にして、ヴィアティンがJリーグに昇格するという大きな目標を達成するために、自分が持っているものを発揮して貢献したいと思っています。
VTM)士郎さんのこれからの10年もまだまだ面白くなりそうですね!
はい、クラブからクビ!と言われない限りは自分の持っているものを全て出して全力でやっていきますよ(笑)